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仙台高等裁判所 昭和34年(ネ)82号 判決

控訴人(原告) 宮沢菊松

被控訴人(被告) 天間林村農業委員会

補助参加人 青森県知事

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用および被控訴補助参加人の参加によつて生じた費用は、いずれも控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が別紙第一目録記載の農地につき昭和二三年一一月一七日、同第二目録記載の農地につき昭和二四年一一月二一日それぞれ樹立した買収計画はいずれも無効であることを確認する。かりに、右請求が理由がないとすれば、右各買収計画はいずれもこれを取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

控訴人、被控訴人双方の事実上および法律上の主張は、左記のほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

控訴代理人は、

(一)  自創法による農地買収計画がどの法条によつて樹立されたかは、当該買収計画書に記載された法条のみによつてみるのが相当であるが、本件買収計画書には自創法第三条第一項第一号しか記載されていない。したがつて本件買収計画は、いずれも現状買収であつて、遡及買収ではない。

(二)  昭和二〇年一一月二三日現在の控訴人の住所は、控訴人の肩書地にあつた。

控訴人家は、数百年の往昔から天間林村の現住所に居住し、天間林村に家屋敷、田畑などを所有している専業農家である。控訴人は養子であつて、養親と一〇年余り同居していたが、同居中はもちろんのこと昭和一九年八月に岡三沢青年学校に奉職した以後は天間林村に所有する田を自作するなどのため頻繁に現住所である二ツ森の養親の住居に往来し、昭和二〇年七、八月ころ三沢が空襲を受けてからは、現住所に家財を運び、同所から学校に通勤していた。現住所と三沢青年学校との間の距離は、一里半程度であつて、汽車の便もよく、車馬、自転車による通勤が可能である。そして控訴人は昭和二一年三月三一日に居村の二ツ森国民学校長を命ぜられて即日赴任したのである。前叙のような関係で、養親が農業を営むのが困難になつたときは、控訴人は教員を退職して帰農することになつていたし、控訴人は自分の生活の本拠を二ツ森の現住所と常に考えていたのである。そのため控訴人は教員生活中に得たたくわえで天間林村内に農地を買い求めることに専念していたものであり、本件農地はすべて控訴人がこのようにして得た粒々辛苦の結晶である。控訴人は天間林村大字二ツ森字家の表一九番田五畝四歩と同所大字榎林字千刈道の上五二番一号田一反歩を所有し、これをば控訴人が前叙のように岡三沢青年学校に勤務するようになつて以来自作しているのであるが、これは控訴人の自作田として買収から除外された。更に控訴人の長男正の応召、二男正次の入営の際はいずれも二ツ森の現住家から出発し、役場員ならびに村民一同の見送りを受けた。冠婚葬祭などの諸行事も二ツ森の養家中心に行なつてきた。

(三)  かりに、本件買収計画が遡及買収であるとしても、これは自創法第六条の二による買収とみるのが至当である。思うに、同法第六条の五は、同法第六条の二第一項による請求がないときにはじめて発動すべきものであるが、右請求を退けて同法第六条の五によつて本件買収計画が樹立されたものとすれば、それは右の意味で違法たるを免れない。

(四)  別紙第一目録(一)の田および別紙第二目録記載の田は、昭和二〇年一一月二三日当時二ツ森幸之亟が小作していたのであるが、控訴人はその後右幸之亟からこれら田を適法かつ正当に返還を受けた。したがつてこれらの田については自創法第六条の二第二項第一号の規定により買収は許されないものである。

(五)  天間林村農業委員会では、昭和二三年二月二三日に本件農地の全部につき買収計画(第六次買収計画)を樹立したので、控訴人は同年三月五日これに対し異議申立をした。同委員会では同年三月七日の会議で控訴人の申し立てた異議について審議したが、なんらの決定をしなかつた。したがつて右買収計画は依然として存続しているのである。しかるに同委員会は重ねて本件買収計画すなわち昭和二三年一一月一七日には別紙第一目録記載の農地についての、ついで昭和二四年一一月二一日には別紙第二目録記載の農地についての各買収計画(前者は第九次買収計画、後者は第一四次買収計画)を樹立した。かゝる二重買収計画では後で樹立されたものは当然に無効である。

(六)  本件買収計画のうち別紙第一目録(二)記載の田についてのそれは、二ツ森まつゑの申請に基いて樹立されたものであり、右田は同人に売り渡しになつたものであるが、右買収計画を樹立した天間林村農地委員会々長の附田又次郎は、その妻がまつゑの夫と兄妹である関係上右まつゑとは親族であり、したがつて右計画樹立当時施行されていた農地調整法第一五条の二四の規定により右買収計画の議事には参与できないものであつたにかゝわらず、これに参与し、議長として決を取つていた。したがつて右田についての本件買収計画は無効であり、無効でないとしても取り消されるべきものである。

(七)  被控訴補助参加人の補助参加申立については異議はない。

と述べた。

被控訴代理人は

控訴人の前記主張中(五)の事実を否認し、そのほか被控訴人の従来の主張と相反するところは全部争うと述べた。

被控訴補助参加代理人は、

被控訴補助参加人は、被控訴人の樹立した本件買収計画に基ずいて本件農地の買収処分をしたものであるから、本件訴訟の結果につき利害関係を有する。よつて被控訴人のため本補助参加の申し立てに及んだと述べた。

(証拠省略)

理由

一、当裁判所の事実上および法律上の判断は、左記のほか、すべて原判決理由と同じであるからこれを引用する。

(一)  当審証人宮沢正次は、控訴人が訴願裁決書を見たのは昭和二六年四月五日であると証言するが、成立に争いのない乙第二、第三号証の各二、甲第七号証の二および当審証人二ツ森十郎の証言によれば、控訴人はそのころ勤務先の二ツ森小学校に隣接する校長住宅に家族とともに居住していたこと、三月末から四月はじめにかけては春休みであつたが、同小学校では休日は校長である控訴人が登校して日直するのを通例とし、控訴人は右春休み期間中も原則としてそれをしていたことがうかがわれ、したがつて控訴人は遅くも同年四月四日には自宅で訴願裁決書を見たものと推認されるから、宮沢正次の右証言は措信できない。

(二)  自創法第六条の二第一項もしくは第六条の五第一項によるいわゆる遡及買収計画は、昭和二〇年一一月二三日現在の事実に基づいて同法第三条の規定による買収をするために定められるのであるから、本件買収計画書に買収の準拠法条として自創法第三条第一項第一号が記載されている(自創法は、買収計画書に当該買収計画の準拠法条を明記すべきことを要求していない)としても異とするに足りないし、またその余の条項の記載がないからといつて、本件買収計画を同法第六条の五第一項によつたものと認めることが妨げられるものではない。

(三)  昭和二〇年一一月二三日現在で控訴人が天間林村にある控訴人所有の農地を自作していたことを認めるに足りる証拠はない。そのほか控訴人の右同日現在の住所が大三沢町にあつたとの認定を動かさなければならないような事実は控訴人の全立証によつても認められない。

(四)  控訴人は、自創法第六条の五は同法第六条の二第一項による請求がないときにはじめて発動すべきもののところ、本件買収計画が右請求を退けて同法第六条の五によつて樹立されたものとすれば、本件買収計画は違法であると主張する。しかしながら、控訴人の右の主張は、本件買収計画の樹立に当り自創法第六条の二第一項による請求があつたとの事実を前提とするのかどうか主張自体不明確である(それは控訴人の弁論の全趣旨からも不明確である)のみならず、かりにそのような事実があつたとしても、そのために同法第六条の五第一項によつて定められた本件買収計画が違法となるはずはない。何となれば、自創法は、第六条の二第一項の請求があるときは、第六条の五第一項の規定によつて買収計画を定めることを禁じたものとは解し得ないからである。

(五)  原審証人二ツ森なみの証言およびこれによつて真正の成立を認め得る甲第九、第一六号証ならびに弁論の全趣旨によれば、別紙第一目録(一)記載の農地および別紙第二目録記載の農地はいずれも、かつて二ツ森幸之亟が控訴人から賃借していたものゝところ、幸之亟は軍隊にいくときに右農地を二ツ森なみに耕作させることとし控訴人もこれを承諾していたこと、昭和二〇年一一月二三日現在はなみがこれを耕作していたこと、幸之亟は昭和二一年ころ帰還したが、なみから右田の返還を求めず、これを引き続きなみに耕作させようとしたので、控訴人は幸之亟となみに対し右田の返還を求め、なみはこれを拒んだこと、それで昭和二二年三月一二日控訴人は幸之亟から右田の返還を受けると同時になみに対してこれを賃貸したことが認められる。右の事実によれば控訴人と幸之亟との間の前記農地の賃貸借は昭和二二年三月一二日に適法に合意解約されたものということができる。しかし甲第九号証によれば、控訴人となみとの賃貸借契約書には「農地調整法ニ依ラズ約定セリ」とか「年貢ハ規則ノ如何ニカ、ハラズ左記ニ依ル………(ハ)年貢ハ田一反歩ニ付白米八斗トスル………」などと記載されていることが明らかであり、右事実と、控訴人が右田の返還を受けると同時にこれをなみに賃貸しした前記認定事実とをあわせ考えると、控訴人は、なみと、農地調整法の認めない賃貸借を結ぶために、幸之亟との賃貸借を合意解除したものと認められるから、右合意解約は正当のものとはいゝ難い。したがつて前記農地については自創法第六条の二第二項第一号の規定により、買収計画を立てることは許されないとの控訴人の主張は採り得ない。

(六)  控訴人は、天間林村農地委員会が昭和二三年二月二三日に本件農地の全部につき買収計画を立てたと主張するが、控訴人の全立証によつても右事実を認めることはできない。もつとも成立に争いのない甲第四号証、第一四号証の一、第一九ないし第二二号証、第二三号証の一、二、第二四号証および当審証人鳥谷部喜代松の証言を総合すると、天間林村農地委員会では本件買収計画を樹立する前に本件農地の買収計画案を立てたり、控訴人に本件農地が自創法によつて買収されることになる旨を通知したりし、控訴人から数回にわたり同委員会に対し、本件農地については買収計画は立てないでほしいとの趣旨の異議申し立てをし、これについて同委員会で審議したことが認められるが、この事実はもとより前記認定を妨げるものではない。

(七)  控訴人は、本件買収計画のうち別紙第一目録(二)記載の農地についてのそれは、天間林村農地委員会々長附田又次郎の親族である二ツ森まつゑの申請によつて立てられ、右農地は同人に売り渡しになつたものゝところ、右買収計画を立てる議事には附田又次郎が参与したから、右買収計画は当時施行されていた農地調整法第一五条の二四の規定により無効であり、無効でなくとも取り消されるべきであると主張する。しかしながら附田又次郎が二ツ森まつゑと親族でないことは控訴人の主張自体から明白であつて、控訴人の右主張はそれ以上判断するまでもなく採ることができない。

二、よつて原判決は相当であるから、民訴第三八四条によつて本件控訴を棄却し、控訴費用および参加費用の負担につき同法八九条、九四条により主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 石井義彦 宮崎富哉)

(別紙目録省略)

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